三重県四日市市を起点とし、大阪府北区を終点とする国道25号(以下、R25)。自動車の人たちには「酷道」と呼ばれていますが、自転車だと国道とは思えないほど走りやすいだけでなく、なかなか楽しませてくれます。
この記事では、東京からアクセスが容易な名古屋を出発点として“酷道25号”を走破するコースを紹介します。
コースの概要
紹介するコースはこちら。R25が始まる四日市までは国道1号(以下、R1)で向かいます。四日市から亀山市(鈴鹿山脈のあたり)まではR1とR25の重複区間で、関宿の先にある追分でR1とR25は分岐します。R1で鈴鹿峠には向かわず、敢えて知名度で劣るR25に進み、そのまま伊賀・奈良を経て大阪まで行きます。
(一部R1・R25に並行する道路に迂回している箇所があります)
R1区間:昭和の巨大ランガートラス橋を駆け抜けて三重へ
名古屋駅を出発し、R1を進むと年季の入った道路橋が姿を現します。木曾三川に架かる「尾張大橋」と「伊勢大橋」はこのコース最初の見どころ。暗いうちに出発しているのは、ここを日中ロードバイクで走るのは車の人に迷惑だし危なかろう、という判断がひとつあります。
尾張大橋は昭和8年(1933年)に、伊勢大橋は昭和9年(1934年)に完成しました。建設の背景は、当時木曾三川を渡る方法が渡し船しかなく物流に限界があるとともに災害にも弱かったから、とのこと。ともに下路ランガートラス橋(アーチと桁で橋本体を吊る形式)で、当時としては最先端の試みだったそうです。
中を走ると年季の入った鋼のアーチと桁が間近に見え、無骨なデザインと相まって、この2つの橋が80年以上前に建てられた貴重な建築であることがよくわかります。伊勢大橋については老朽化を理由とした架け替え工事が進められており、尾張大橋についてもいずれ同じ運命をたどると思われます。普段使わないからこそ言えることではありますが、過去の遺物として消えていくのは正直、惜しいなと。
R1・R25重複区間:東海道五十三次のひとつ「関宿」を抜ける
四日市に入ると、R1はR25に合流し、そこからしばらく重複区間となります。完全な幹線道路で交通量は早朝でもそこそこあり、日中走るのは相当神経を使うと思います。ちなみに、踏むと速度はめちゃめちゃ伸びます。
この区間の見どころは、亀山市にある「関宿(せきじゅく)」です。
関宿は、江戸時代に栄えた東海道の宿場町。街中には往事が偲ばれる、時代がかった建物や物品ばかりです。
東西1.8kmほどに渡って江戸〜明治にかけての町屋が200も軒を連ねており、その先には鈴鹿山脈がちら見え。鈴鹿峠を越えて江戸と京都を往来する人々が脚を休めた場所です。
R1とR25の重複区間は関宿の先にある追分で終わり、二手に分かれます。このコースではR1で鈴鹿峠を越えるのではなく、R25単独区間に進みます。つまり、東海道とはここでお別れ。
国道25号区間:古代から令和まで、さまざまな時間が詰まっている
ここで景色は一変、1車線でよくある感じの山道に。これで二桁国道、というのがR25の熱いところです。
大和街道と加太越
とはいえ、ただの山道、というわけでもありません。ここから始まる区間は「大和街道」と呼ばれており、「加太越(かぶとごえ)」という古めかしい名前の峠が待っています。
大和街道は鈴鹿山脈と布引山地の間を縫うように通っていますが、秋山郷のように超絶景が拝めるわけでもなく、国道425号のようにエクストリームでネタ性が高いわけでもありません。
大和街道にはこの隧道のように古めかしい構造物・建物が多く、ただ走るだけでもレトロな印象を楽しめますが、「大海人皇子が壬申の乱の折に通った」「源義経が木曾義仲追討に行くのに使った」「徳川家康の伊賀越えの経路だった」とか知っているとさらに楽しくなります。“古代から存在している”の概念がもたらす成分でよりエモく見えるというか(伝われ)。
ゆるいカーブを描くガードレールの先には布引山地。沿道の民家はどれも和風で統一されていて、これも一昔前のような雰囲気です。モダンな戸建てが混じるここまでの景色と印象がまるで異なり、所在地としては東海(三重県内)ですが、畿内み(昔からある感)を感じました。
自分は東北の出身なので「蝦夷の身で畿内に侵入しちゃった」とか思って静かに興奮してましたが、古代では鈴鹿関(関宿のあたりにあった関所)以西は朝廷の喉元的に認識されていたらしいので、そこまで的外れではないかも。
崩落の可能性を示す電光掲示板と、その隣に添えられた通行規制の看板。電光掲示板の上に鎮座する珍しいタイプのおにぎり(国道の標識)がなければ、国道とは認識できないやつです。
大和街道にはJR関西本線が並行しています。ちょいちょい交差もするのですが、アンダーパスが煉瓦造りで最高に好き。
ガードレールがうねり始め、山道そのものに。こういう区間が奈良盆地に入るまでにちょこちょこ現れるので、それが酷道と呼ばれる原因でしょう。勾配は緩く、自転車だと十分整備された道、という印象です。
加太越のピーク付近の景色はなかなかのもの。右手奥に見える、錆びた砕石工場がまたいい味を出しています。
先ほどのものよりさらに古そうな関西本線のアンダーパス。このあたりはもう伊賀市です。
伊賀〜天理:関西から東海への裏道
R25のおもしろい点として、並行するバイパス路線「名阪国道」との落差が挙げられます。写真の左側が名阪国道、右側がR25(大和街道)です。
奈良県天理市と亀山市とつなぐ名阪国道は見た目こそ高速道路ですが、高速自動車道ではありません。“自動車専用の国道25号”という扱いです。法的にはR25も名阪国道も同じ立ち位置なのに、一方は酷道扱いでスカスカ、もう一方は高規格で大賑わい。
道の価値は速く遠くに行けるか否かがすべてという身も蓋もない現実に、歴史に浸りまくったあとにぶつかるのは、R25の個性と思います。
伊賀を抜けて奈良県に入ると、沿道にはくたびれた建物や標識が目立つようになります。こちらは昭和感がすごい電気屋さん。
名阪酷道をすっ飛ばしていく車の脇には錆び錆びで少しひしゃげたガードレールをぼんやりと眺めながら、ひび割れたアスファルトの坂道を上っていきます。
休憩には道の駅「針テラス」がおすすめ。奈良県のマスコットキャラクター「せんとさん」の巨大な像が祀られていて、奈良にきた感が高まるからです。せんとさんは2008年(平成20年)に爆誕されたので、R25においては極めて若々しい存在だと言えます。
完全に余談ですが、せんとさんはこの手の県のマスコットキャラクターの中でも“働き者”な印象です。このライド中にはせんとさんが業務に従事されているのをちょいちょいお見かけしました。もっと余談ですが、この手の県のマスコットキャラクターで働きっぷりがヤバいのが、群馬県の「ぐんまさん」。渋峠のような辺境の地でのり面補強工事までされていて、頭が下がる思いです。
林道の支線でしか見たことがないほど錆び付いた標識があったり、
小さな集落の、誰もいない公園で紅葉が全盛だったり、
風雨に何年晒されたのかもわからない仏像?があったりと、自分がいるのがいったいいつの時代を走っているのかわからなくなるような光景が次々と現れては消えていきます。
天理ダム〜斑鳩〜大阪:タイムトリップの終わり
天理ダムに到達。R25はダムの上を通過する、珍しい国道でもあります。
下っていけば、奈良盆地。旅の終わりが見えてきます。
市街地をサイコンのナビに従って進んで行くと、斑鳩に。ここにはR25沿道で、というか国内でも屈指の歴史を持つ寺院「法隆寺」があります(推古15年=607年完成)。疲労していましたし、紅葉真っ盛りで雅な雰囲気だったのもあって、とても興奮したのをよく覚えています。
生駒山地が迫ってきて、長かった奈良も終わり。
大阪府に入ったあとは、赤信号で足止めされては青信号でゼロ発進するだけのロボットに。
梅田新道を目指しますが、中心部は一方通行の通りがあって、土地勘のない東京の民にはなかなか走りにくい。ただ、都内とはまた異なる走りにくさだったのは良かったなと。大阪にきた、という実感はしっかり湧きました。
大阪市道路元標に到達。国道1号・2号・25号・26号・163号・165号・176号と実に7本の国道の起点・終点となっている場所です。R25を走るのであれば、自分はどうしてもここまで来たかった。そういう意味では、エゴがかなり入ったコースかもしれません。
まとめ
名古屋から大阪までの国道ライドというと「苦行」「虚無」「地獄」などと思う人が多そうですが、今回のように「滋賀・京都に行かないコース」を選べばなかなか楽しめるのではないかと思います。とはいえ、退屈な区間やしんどい区間がゼロにはなりません。今回のコースの場合だと、名古屋〜亀山間は日中走るのは避けたほうがいいでしょうし、特にこだわりがなければ天理ダム以降はカットして輪行で帰ってしまってもいいでしょう。
難易度はぶっちゃけ大したことありません。特に、関宿〜天理ダム間は距離こそそれなりにありますが、上りはあっても勾配は緩く、交通量も控え目です。
すべてを実際に目で見れるわけではないとはいえ、古代・中世・近世・近代・現代と、あらゆる時代を味わえる、けっこういいコースなんじゃないかと思います。
コメント
コメント一覧 (1件)
[…] 峠道にはさまざまありますが、中に「2つの地域をつなぐもの」があり、独特のおもしろさがあります。たとえば、群馬と長野の県境にある渋峠がそうですし、東海から近畿への入口になっている加太越もそういったタイプの峠に分類できるでしょう。 […]