先日、前々から走ってみたかった国道425号(以下、R425)を全線走破してきました。
R425は紀伊半島を東西に横断する国道。紀伊山地のど真ん中を突っ切っています。国道なのにまるで林道のような雰囲気の区間が大半、急カーブが延々と繰り返されることで有名です。R425はクルマやバイクの世界で酷道と呼ばれています。
歴史的に若い関東に住む自分は、非常に古い歴史をもつ近畿の最深部を貫通するR425にエグゾティスムを感じてしまいました。自分が見たことがないものが見られる。そんな確信があったのです。
R425は全線200kmほど。国道としてはそれなりな長さですが、実際に走ってみると、国道1号のような長大な路線と同じくらい、表情を変える道でした。今回はそんなR425を自転車乗りの目線で紹介してみます。
R425の概要
今回はR425を起点の尾鷲市(三重)から御坊市(和歌山)までの全線を走破しています。走行距離は198.7km・獲得票高は3,997m(果無集落[後述]を含む。Garmin Edgeが十津川西部で壊れたため、後半はStravaによる計測であり、獲得票高は多めに出ている可能性が高いです)。
R425は道路状況や周囲の地形から見て、大まかに以下の5区間に分けられます。
最初に言ってしまうと、おもしろいのは尾鷲市〜龍神村(1〜3)です。ぶっちゃけ全線を走る必要はなく、この区間だけコンプリートすればR425のおいしいところは見た、ということになるかなと。
補給が厳しく、メカトラは致命的。難易度は高め
補給できるのは、下北山村(奈良)、十津川村(奈良)、龍神村(和歌山)の商店・道の駅くらい。下北山村と十津川村の商店が夕方には閉まるのが厳しい。補給スポット間は数十キロ離れていて、その間は自販機すらありません。
メカトラなどで走行不能になるとかなりヤバいです。携帯電波がない区間が多く、村営バスが走ってはいますがダイヤは1日2本。クルマ通りもほぼないため、トラブル時は歩いて最寄りの民家 or 電波が通じるところまで行って助けを求めることになる可能性が高い。正直、ソロは怖いと思いました。
総合的に見て、自転車で走る難易度は高いと思います。補給とリタイアがとにかく難しい。アクセスも悪く、東京からだと尾鷲にせよ御坊にせよ、6時間はかかります。前泊が事実上必須です。とはいえ、それでもなお走る価値のあるコースだと思います。この記事で伝えたいのはそこですね。
幸い今回はイナさん( @ina_419 )とすーさん( @su_san5392 )が一緒に走りたいと言ってくれたため、十津川村で1泊するグループライドとし、難易度とリスクを下げられました(1日あたり補給1回で十分な距離を走ればよくなり、トラブル時は最悪走れる人が助けを呼びにいける)。
自転車の場合は、十津川村で1泊がベストだと思います。以下、各区間ごとに紹介していきますが、見どころは非常に多く、丁寧に見て回ったほうが満足度は高いというのも大きいです。ゆっくり走るべき理由が十分にあるのです。
尾鷲市〜下北山村:いきなり秘境区間。山を越えればダム湖と吊り橋と廃墟が待つ
実は自分がいちばん走りたかったのはこの区間です。R425を走ると決めたのは、この区間をパスできると書いているブログを見たから、というくらい(ちなみに、R425はどこかで通行止めが発生していることが多く、全線通しで走れる機会はわりと貴重です)。
実際に尾鷲市に行ってみると、いきなり放つオーラがちがいました。標識にR425はあっち、と案内があるのですが、行き先が消されています(よく見ると下北山と書かれていたのがわかります)。国道には起点と終点が必ず指定されていて、どこに行くための道なのかが規定されています。それなのに行き先が書かれていないというのは…ふつうじゃない感がすごい。
R425はさっそく住宅街の中に入っていき、そのへんにありそうな1車線の生活道路風に。標識もありますが、ステッカーです。
すぐに山の中に入っていくR425、崩れ気味の斜面が出現してこれまたパンチがあります。
いきなりレンガ造り&苔むした、味のあるトンネルがお出迎え。
魔界に通じてそうです。
反対側も凄まじい味。
トンネルをひとつ抜けただけ、起点から2-3kmでもうこういう感じです。
あちこちにR425の標識が貼られていて「ここは日本国の国道なんだわ」と主張しているのが違和感ありまくりでまた良い。
古いトンネルが多いですが舗装は綺麗で、勾配も大したことないので走りやすいです。
沿道を流れる叉口川。水は澄み渡っています。
徐々に林道っぽくなっていきます。
ステッカー標識が国道アピールを続けていましたが、説得力は完全に消滅。
そこから標高600mほどまで上ると、景色が開けます。山々が遠くまで見通せ、足下は断崖。
関東甲信越だと1000mくらいまでいかないと見られない景色ですが、紀伊山地は高低差がとにかく激しく、ちょっと上っただけで見れてしまうという。
秘境感がすごい。
ここにもステッカータイプのR425標識が潜んでいました。
秘境感はどんどん増していきます。
このあたりには「かくれ滝」という非常に美しい滝も。R425から3分くらいで着くので、もし行かれるなら寄るのをおすすめしておきます。
廃墟と吊り橋とダム湖
秘境区間を抜けると廃墟が目立つように。集落まるまるひとつ廃墟になって残っています。わりと新しめの自転車がうち捨てられているのは何だったんだろう…。
R425は坂本ダムによって形成されたダム湖沿いに進んでいきます。
道の側には当たり前のように廃墟。これは住宅だったんでしょうか。
東ノ川廃集落とR425
ここで少し寄り道、R425を外れ、右手の県道に進みます。東ノ川という廃集落があるので、見てみようかなと。道中は荒れまくりでした。
その一方で、紅葉とダム湖、出合橋のコントラストが美しかったりも。
また、錆びついた吊り橋もありました。この日は風がかなり強く、煽られて転倒してもおかしくなさそうでした。足場は木製…。渡るなという看板が立っていましたが、踏み出す気にはとてもなれません。
ダム湖にかかる姿は美しいのですが。
そこから少し行くと、東ノ川小中学校跡がありました。廃校になったのは1998年ですが、1969年には休校になっていたそうです。
「望郷立志誓之碑」というモニュメントがあり、建立は1969年。「国策のダム建設で故郷は水没してしまいますが、この地を忘れずに新天地で暮らしていきます、といった主旨。このあたりにあった集落のすべてがダムに沈み、多くの人がこの地を離れたそうです。
東ノ川小中学校で満足してしまったのもあってスルーしましたが、少し先に行くと廃墟となった東ノ川集落が残されています(放棄されたのは2000年頃らしいです)。この東ノ川集落は、ダムに元の集落が沈んだあともこの地で暮らすことにした人たちが住んでいたもの。
尾鷲市〜東ノ川〜下北山村までの50kmほどの区間には観光施設や宿泊施設なども一切ないため、現在は奥只見以上の無人地域となっています。
今回、尾鷲市に前泊していて、宿の人に「十津川に行く」といったら意外そうな顔をされました。それで尾鷲市からR425を使って下北山・十津川方面に行く人はいないのかなと思いましたが、そうなるのも納得。
このあたりのR425は、沿道にある林道やダムの関係者がたまに通る程度の道に過ぎないのだと思われます。「国道」としてはほぼ死んでいる…。
下北山へ
R425に復帰し、先に進みます。
隧道をいくつかくぐり、
備後橋という大きな吊り橋を渡ります。この備後橋は、2015年から補修工事で通行止めになってたそうで、通行できるようになったのは2年後の2017年。ネットでは確認がとれませんでしたが、尾鷲市の標識でR425の行き先が消されたのはこの補修工事期間中なのかも?
沿道にある「水没之碑」とお地蔵さんに見送られ、
池原ダムに到達。下北山村の補給スポットまではあと少し。
この日は晴れていて、展望も良好。ここでも高低差が生み出す景観をたのしめました。山を蛇行する川が取り囲む地形は、関東甲信越では見たことがありません。
川をせき止めて公園になっているところもあります。ちょっと見たことない光景です。
数少ない補給ポイントである「カーブの店」に立ち寄り。昼食を食べて、下北山村と十津川村の間にある峠に備えます。
(ちなみに、尾鷲市からは2人でスタートし、下北山村で関西からくるもう1人と合流しています。ここまで2人しかいないように見えるのはそのため)
下北山村〜十津川村東部:ワインディング&ガードレール祭りなヒルクライム区間
下北山村を出発、以降、上りの勾配は尾鷲市〜下北山村区間よりも全体的に急で、ヘアピンカーブが続きます。
さっそく頭の上にガードレールが出現。
その後、純然たる山岳区間といった雰囲気に。
短距離で一気に駆け上がるタイプの上りで、足下に上ってきた道が見える場所もちょこちょこあります。
名前がおもしろすぎる「カナウナギトンネル」を通過。
このあたりから看板が熱い感じになってきます。落石に気をつけろという看板はたくさん見ましたが、落盤に注意となっているのはR425クオリティ。全通しているのがレアなのも納得です。法面はことごとく金属製のネットで覆われています。
頭の上にガードレールがあるのが完全に当たり前。
道路の線形はめちゃくちゃで、クルマでは絶対走りたくない。
上っていくと十津川村まであと27kmの標識が登場。
その先で展望が開けます。
紀伊山地の山々が見渡せます。
冒頭の写真はここで撮ったもの。
ピークはその少し先、白谷トンネル。抜ければそこは十津川村、ダウンヒルが始まります。
日没が近づいていたので先を急いだのですが、それでも足を止めてしまったのがこの「R425の425」。これは奈良県区間にだけ設置されている標識で、カーブの数を表示しているようでした。三重との県境からここまででカーブが425もあったと。
だらだら写真を撮りながら走っていた&12月で日没が早かったこともあり、すでに夕方のよう。暗くなるとかなり危険な道なので一気に下りました。
十津川村中心部が近くなってきました。
この先でR425はR168に合流、十津川村までは高速道路のような高規格道を飛ばして15分ほどで到着できました。
旅館 植田屋に投宿、松阪牛のすき焼きと地酒、硫黄泉をキメてしっかりと疲れをとりました。
寄り道:超展望で熊野古道を歩ける、果無集落
2日目はいきなり寄り道スタート。十津川村中心部からほど近い、「果無集落(はてなししゅうらく)」に向かいます。
270mほど上るのですが…
道中からして景色の開け方がすごい。
上った先にあるのは、集落の中を通る熊野古道。熊野古道は奥の山々から果無集落まで続いていて、そこからまた山の中に消えていきます。
十津川村は非常に古い歴史をもちます。『日本書紀』には、崇神天皇(10代)が神社を建てたとか、天武天皇(40代)が672年に壬申の乱で挙兵したときに十津川の民も参加して大きな功績をあげたことなどが記されているんだとか。
こういった極めて古い集落に訪れられ、その古さを実際に感じられるものを見られるというのは、歴史の浅い東日本でのサイクリングではあまり体験できないので、だいぶ刺激的。
あと、十津川村名物の吊り橋も渡ってみました。すんごい揺れて怖い!
十津川村西部〜龍神村:毒々しい看板の嵐。もっとも酷道的なR425の深淵・牛廻越
果無集落を堪能し、R425に戻ります。ここからはクネクネとしたカーブが延々と、龍神村まで50km以上続きます。実際走ってみてグループライドにしてよかった、と思いました。道中にはいい景色もあるのですが、視界が開けるのはたまにという感じで、間の距離が長い。雑談しながらでなければ、やや単調でしんどかったと思います。
とはいえ目につくものはやっぱり多い。たとえば、この区間を彩る毒々しい看板たち。「落ちたら〇にGOですよ」としつこいくらい注意してくれます。
例の山を川が取り巻くようにある地形はこのあたりにもあって、民家が建っていたり。人が住んでいるからか、川の埋め立てが行われていましたが。
沿道にはちょいちょい集落があり、
十津川中心部に近いうちはのどかな雰囲気です。
まぁすぐにベコベコのガードレールが出現し、
土砂崩れの跡に出くわしたりするんですが。この区間も、相当な費用と労力を投じて維持されているはずです。
一方で、いい感じにガードレールが見上げられるところも。
クルマは数台すれちがったのみと過疎も過疎なんですが、標識は妙に密だったり。
この区間で目立つのが、やたら背の低いカーブミラー。おにぎりと合体しているものもあれば、
2段になっているもの、
ほとんど地面に埋まっているものまであって、個性豊かです。
この区間は集落が散在していることは先に述べましたが、和歌山との県境ぎりぎりまで人が住んでいるのが興味深い。
最後の集落・西迫川(せいにしがわ)は十津川中心部から実に25kmほど離れていて、民家は10もないと思います。村営バスは予約が必要だそうですが、ちゃんときています。
その先にはかなり新しい廃集落がありました。
通学路の標識があって、廃校も。この廃集落から和歌山県境まではわずか数キロ、牛廻越という峠の半ばにあって、本当に山奥です。
東ノ川もそうでしたが、かなり厳しい条件の場所であっても住み続けたいと思う人がいて、R425が唯一といえるライフラインになっているとともに、R425があってなお集落が放棄されていっている。こんなに沿道の生活が生々しく垣間見える国道はほかにない気がします。
奈良と和歌山の県境は、牛廻越のピークにあります。やっぱり標識の類いが山盛り。R425奈良区間のカーブの数は1045でした。
下り始めると雰囲気はまさに山奥、という感じになります。あるのはカラフルで主張の激しい転落注意の看板だけ。人はまったく住んでおらず、自分としてはそれが自然なような気がしました。
ここでもステッカー版R425標識があるように見えますが、よく見ると「酷道425号」のステッカー。バイカーさんあたりが貼ったものなんでしょう。
舗装も荒れ気味で、「いつも走っている山道」に近いクオリティでした。
龍神村:おもしろいのはここまで感
R425は別の国道と合流して終点の御坊方面に向かっていきます。
二車線の高規格な道で、先ほどまでの山道は何だったのとなりました。
なんというか和歌山県はお金の使い方がうまい気がしました。人が住んでいる区間に入ると一気に道が綺麗になって走りやすくなるんですよね。人が少ないところにお金かけてもしょうがない、それはまったくその通り。
でもおもしろいのは奈良区間だったなと。その土地に住む人たちがいて、その人たちのために整備されているが故に、R425奈良区間はあのように表情豊かだったのではという気がするのです。旅人だから言えることではあるのですが。
道の駅も立派です。巨大なしいたけをはさんだバーガーが売っていたりして、なんというかオサレ。それを食べながら、なんというかR425ライドのいちばん味わい深いところは終わったのだなぁ…などと思ってしまいました。
R425は合流していたR424と分かれ、再び単独区間に。
クルマ通りは少なかったですが、奈良区間よりはすれ違う頻度が一気に増え、2車線への拡幅工事も進められていました。「需要がある道なんだなぁ」と。
12月上旬でしたが、龍神村は紅葉が綺麗なところが多かったです。印南町との境となっているトンネルが味のある感じになっていました。
印南町〜御坊市:太平洋付近までひたすら下るだけ
トンネルを抜けるとあとはもうずっと終点まで下るだけ。日もほとんど落ちていたので、完全に消化試合ムードです。
御坊市で久しぶりの信号。そういえば、R425には信号がほとんどありませんでした。きちんと数えていませんでしたが、トータルで10個ないような? しかもうち4つは起終点付近にあるという。信号峠な1桁国道のイメージが強いので、「やっぱり国道らしくない」と思ってしまいます。
R425がR42と合流する交差点に到達。これにて尾鷲市から200kmほど続いたR425を全線走破しました。
龍神村以降は「全線走破しました」と言うために走ったような感じで、そんなエゴ全開のライドに付き合ってくれた2人の同行者には感謝しかありません。
こんなに「深い国道」はない
秘境的な区間や景色がいい場所がたくさんあり、古いトンネルをたくさん抜けていくので冒険しているかのような気持ちになるのは確か。転落事故も多発しているというので、酷道と呼びたくなる気持ちはわかります。
でも、自転車で走ると「非常によく整備された道」という印象が強かったです。舗装は林道的な雰囲気の場所でも総じて綺麗で、本物の林道に比べれば圧倒的に走りやすい。クルマもほとんど走っておらず、通っている場所も踏まえると、むしろよく維持されていると言えます。
それでもなお紀伊山地の最奥部で暮らすのは難しいことが沿道の風景から伝わってくるのがR425最大の特徴でしょう。離れていく人がいて、それにも納得せざるを得ません。観光地である下北山村や十津川村、龍神村の間にある生活が生々しく迫ってくるのです。衰退や滅びが明媚さに影を落としている、と言ってもいいかもしれません。
東京から行きやすい長野などは観光地として洗練されていますが、逆にそういった場所を走っているだけではまずできない体験ができるところに、R425のおもしろさがあると思います。
おまけ:四国横断したくなりました
R425全線走破の翌日、御坊周辺をゆるポタして「日の岬」に立ち寄りました。紀伊半島最西端の灯台がある岬なんですが…なんと対岸の徳島がうっすらと見えていました。
次に大がかりなライドをするなら、和歌山からフェリーで徳島に渡り、今回の達成した紀伊半島縦断の流れを引き継ぐ形で四国を横断してみたくなりました。
コメント
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[…] 大和街道は鈴鹿山脈と布引山地の間を縫うように通っていますが、秋山郷のように超絶景が拝めるわけでもなく、国道425号のようにエクストリームでネタ性が高いわけでもありません。 […]
[…] 紀伊半島にある護摩壇山(ごまだんざん)。以前酷道425号を完走した際に、よく標識にその名が登場して気になっていた山です。高いところというだけで愚者と自転車乗りを呼び寄せるもの。護摩壇山は和歌山県の(ほぼ)最高峰、あるわけです、誘引力が。 […]